芳野氏は、秋山・沢・芳野の「和州宇陀三人衆」と称される武家集団で、この芳野を中心に鎌倉から戦国時代にかけて活躍した在地武士。芳野城(ほうのじょう)は、東西300mの山の尾根を利用して造られ、標高466mの高さにある。そのため、狼煙(のろし)を上げる山城だったと考えられている。この城には、郭、土塁、堀切、虎口などがあり、3本の大きな堀切で、敵の侵入を防いでいた。
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芳野氏は、秋山・沢・芳野の「和州宇陀三人衆」と称される武家集団で、この芳野を中心に鎌倉から戦国時代にかけて活躍した在地武士。芳野城(ほうのじょう)は、東西300mの山の尾根を利用して造られ、標高466mの高さにある。そのため、狼煙(のろし)を上げる山城だったと考えられている。この城には、郭、土塁、堀切、虎口などがあり、3本の大きな堀切で、敵の侵入を防いでいた。