常盤は源義経の母、源左馬頭義朝の妻。
平治の乱(1159年)に義朝が敗れ、三児抱えた妻、常盤は吉野の龍門に身を隠しました。
さらに、吉野から菟田野の下芳野へ逃げのび岸の岡に身を寄せます。下芳野には常盤明神が祀られ、、「常盤井戸」が残っています。また、幼い牛若丸を胸に抱いた常盤御前と、今若、乙若の二人の兄が雪中を歩く姿を描いた掛け軸が伝えられています。大字・松井には常盤御前にまつわる「腰掛け石」も残っています。
常盤は源義経の母、源左馬頭義朝の妻。
平治の乱(1159年)に義朝が敗れ、三児抱えた妻、常盤は吉野の龍門に身を隠しました。
さらに、吉野から菟田野の下芳野へ逃げのび岸の岡に身を寄せます。下芳野には常盤明神が祀られ、、「常盤井戸」が残っています。また、幼い牛若丸を胸に抱いた常盤御前と、今若、乙若の二人の兄が雪中を歩く姿を描いた掛け軸が伝えられています。大字・松井には常盤御前にまつわる「腰掛け石」も残っています。